32の思い


『ワタクシ、本当に兄君さまのお役に立っておりません。いつも早合点で失敗ばかりです
。今日も刺客と勘違いして危うく見知らぬおばあ様に傷を付けるところでしたわ。
いつも不覚ばかり取っているワタクシに、兄君さまはお優しくして下さるけれど、きっとワタクシなど足手まといになるだけなのですわ。
いつもいつも…』

春歌は日記を付けていた。

しかし書く内容はいつも芳しくない。己の行動の空回りぶりを綴る事が日課になってしまっていた。

日記を付けるのも嫌になったこともある。それでもこれは臥薪嘗胆であると、苦い思いで書き続けた。

しかし、
「戒めの為に書いていても、何の役にも立ってませんわね…」

いざ何かあると、いつも体が先に動いてしまう。そんな自分と、それでも優しくしてくれる兄が辛かった。

「これ以上兄君さまに迷惑をかけることなど出来ませんわ」

ネジが巻かれた時だった。



「咲耶、春歌見なかったか?」

「知らないわよ。そう言えばここ2・3日見かけなくなっちゃったわね」

「どうかしたのかな?」

「病気で寝込んでるんじゃ」

「連絡を取ったんだけど、返事が全然無いんだ」

「お兄様、春歌ちゃんに何か悪いことでもしたんじゃないの?」

「何にもしてないよ!」

「意外と気付いてないところで…」

「してないってば〜」

咲耶に聞くのは止めた。と、

「そう言えば、前に私、お兄様の為にってお料理の訓練で1日いなくなったことあったでしょ?もしかしたら春歌ちゃんも…」

「あ、なるほど!で、どこに行ったの?」

「………」

途切れた。

「直接確かめに行くしかないな」

始めからそうしていれば良かった事に気付き、春歌の家を訪ねる。

・・・・・
いなかった。誰も。

「…?」

気になった。悪いと分かっていたが、勝手に上がることにした。兄の目に入るものは殺風景な和室。やはり誰もいなかった。

そして何も無かった。無さ過ぎる。

「泥棒…」
それにしては荒らされた様子も無い。明らかに何かがおかしかった。

その不自然なおかしさが、1つの答えになった。

「……ドイツ」

兄のネジも同じ方向に向かって巻かれた。



「…おばあ様」

「春歌!どうしたのです?急に戻ってくるなんて」

「………」

巻かれたネジが止まった。力を無くしたぜんまい仕掛けの人形のように、春歌は勢い良くひざまずき、そして両手で顔を覆い隠した。

それが、涙を隠すためなのか、それとも自分の日本での失態を隠すためなのかは分からない。



遅れて兄がドイツに着く。春歌がかつて教えてくれた住所へ向かった。

そしてたどり着く。一呼吸おいてドアをノックする。

ガチャ。

出たのは、春歌が常々言っていた祖母だろう

「…どちら様でしょうか?」

ここはドイツだが、流暢な日本語で答えてきた。兄も日本語で返す。

「春歌の兄です」

「春歌はいます。ですがあなたにお会いさせるわけにはいきません」

「なんで!?」

「あの子は泣きながら帰ってきました」

「………」

「ですからお会いさせることは出来ません」

疑われている。喧嘩か何かだと思っているようだ。

「春歌は何か言ってましたか?」

「いえ、帰ってきてから一言もしゃべろうとはしません。お引き取りください」

「そうですか」

その日は近くのホテルで宿を取った。



2日目。

「またいらしたのですか」

「春歌に会わせて下さい」

「返事は昨日と同じです」

「………」



3日目。

「今日もですか?返事は同じですよ」

「今日で3日目です。3回訪ねる事の意図をお察し下さい」

三顧の礼。日本、特に中国では有名な故事。三度訪ねて敬意を表し、劉備が孔明を迎え入れた事からこの言葉が生まれたとされている。

兄は、春歌とその祖母がその手のことに精通していると察し、最後の試みをしてみた。



「春歌」

祖母の声に反応して、春歌が顔を上げる。

「今、兄君さまが訪ねてまいりました」

「ええ。正確には3日前からですが」

「どうしてワタクシに仰ってくださらなかったのですか!?」

「あなたが何も話してくれないから、よほど兄君さまと何か、いさかいがあったのかと思いましたから。三顧の礼になぞらえて、3回訪ねてまいりました」

「兄君さま…」

「どうするのです?お会いになるのですか?」

「……いえ、ワタクシは兄君さまのお役に立てませんから…会わないことが兄君さまのためですわ」

力の無い答え。祖母には春歌の口と心が離れている事に気付いた。

「ではどうするのです?お引取り願うのですか?」

「……はい」



「春歌はあなた様のお役に立つ事が出来なかったことを気に病んでおります」

「役に立たない?」

「ええ」

しばらく立ち尽くす。そしてその後

「紙と、何か書く物を…」

「この紙を春歌に渡して下さい」



「で、結局帰ってきちゃったの?」

「ん、ああ…」

「だらしないわね、お兄様。そんな時は首に縄をくくり付けてでも連れてこなきゃ!」

「恐い事言うな…」

確かにそうしたかった。でも、春歌が望まないなら、自分は強制は出来ないと思った。

だからいやいやにもネジを逆回しにして、帰ってきた…そのまま家路についた

「兄君さま!」

空耳…

「兄君さま!」

またか…

「兄君さま!」

空耳と思った声は自分のすぐ後ろだった。二本の腕が胸に絡まる。

自分の背中から手が生えたのか?それにしては女々しい手。

「兄君さま…」

空耳ではなかった…

「……お帰り」

その女々しい手には紙が一枚握られていた



独りの木
花散り散らし
かなしからん
我石付けて
その木ぐしたし


<迷水さんによるあとがき>
ちなみに、最後の短歌は文法的、意味的に間違っている可能性が“大いに”ありますが、説明すると

独りの木=木とは春歌のことですが、独りはドイツ(独逸)ともかけてます。
花散り散らし、かなしからん=何となく雰囲気が出てればそれで良し…
我石付けて、その木ぐしたし=石は意志とかけてます。その木(春歌)に帰ると言う意志を付けて、連れて帰りたい(ぐす=連れる)

と言う意味です。あまり自信有りませんが…


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